昭和34年、父親は脱サラしてカメラ店を立ち上げました。この写真はその当時のものです。場所は大阪市の生野区で、大阪市内の中でも、言わばちょっとお上品とはほど遠い、「やんちゃな場所」です。
左隣には、大衆食堂があり、どちらの看板も懐かしい雰囲気が漂っています。今、こんな看板を出したら逆に目立つかも・・・。
当時のカメラ店は、生活必需品ではなく、ぜいたく品を販売する場所。父親は自分の好きなこと、趣味を仕事にしたわけです。今でこそ、「好きなことを仕事にして食っていく」のは当たり前ですが、その頃ってかなり無謀だったのかもしれません。しかも運転資金ほとんどなしで。良い言い方をすればベンチャー魂、逆の言い方をすれば無謀。父親が生きている間に、その時の思いや決断についてもっと聞いておけばよかった。店はおかげさまで、その後、空前のレジャーブームや、大阪万博などの特需で儲かったとか。
そして、この場所で私が誕生し、幼少期を過ごすことになったのです。
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